トヨタ博物館で「日本のクルマと私たちの100年」展!女性とクルマの歴史をたどる旅
日本のクルマと私たちの100年を振り返る旅
愛知県長久手市にあるトヨタ博物館で開催中の特別企画展「日本のクルマとわたしの100年」は、日本の女性たちとクルマの歴史を探る貴重な展示です。この展示は、女性がどのようにしてクルマと関わり、時代を切り拓いてきたのかを示す5つの時代に焦点を当てています。これらの時代を通じて、クルマの進化とジェンダーの変遷を理解することができます。
第一に、「女性ドライバーの誕生」は、東京自動車学校の第1期生として入学した女性たちの写真からスタートします。着物姿の女性がハンドルを握る姿は、当時の社会における革新を象徴しています。1933年に警視庁から表彰された渡辺はまさんのような女性たちは、日本の道路交通のパイオニアでした。
次に、1936年に開始された日産の「ダットサン・デモンストレーター制度」は、女性が自動車技術を習得し、家庭訪問で試乗を勧めることで、女性の自動車愛好者を増やすという画期的な取り組みでした。この制度は、女性がクルマの世界に進出する重要なステップとなりました。
1957年には、女性ドライバーである東郷美作子さんが日本一周読売ラリーで優勝し、豪州ラリーに参戦するという偉業を成し遂げました。彼女の活動は、女性がモータースポーツの舞台で活躍する道を切り開くものでした。東郷さんが設立した「女性ドライバーの会」は、ドライブや整備の勉強会を通じて、女性がクルマに関わる機会を広げる役割を果たしました。
1961年に発売されたダットサンブルーバードの「ファンシーデラックス」は、女性ドライバーをターゲットにした工夫が盛り込まれたクルマでした。サンバイザーが化粧ポーチになっていたり、ウインカーを操作するとオルゴールが流れたりと、ユニークなアイデアが満載でした。こうした工夫は、今の多様性を取り入れたクルマにつながるものです。
最後に、女性エンジニアの活躍が紹介されています。マツダ「MX-30」の竹内都美子さんやレクサス「UX」の加古慈さんのように、女性がクルマを「つくる側」で活躍する時代が到来したことは、日本の自動車産業における大きな進歩です。
この展示は、2025年1月13日まで開催されており、見る人に新たな視点を提供しています。日本の女性たちがクルマとともに歩んできた歴史を理解することで、未来のジェンダーレス社会に向けたヒントが得られるかもしれません。
トヨタ版「CX-80」が示す未来のシティーカーの可能性
1979年にトヨタが発表した「CX-80」は、未来のシティーカーとして開発されたコンセプトカーです。この車は、都市生活における快適な運転を追求したもので、全長3500mmというコンパクトなボディに先進的な技術を詰め込んでいました。
この時代、各メーカーは省エネや省資源をテーマにしたクルマを提案しており、トヨタもその流れに沿って「CX-80」を開発しました。デジタルメーターやプッシュボタン式のATセレクターレバーなど、当時としては画期的な装備が搭載されていました。市販化はされなかったものの、そのコンセプトは後のトヨタのコンパクトカーの基礎となりました。
このように、過去の試みやアイデアが現代のクルマ作りに影響を与えていることは、クルマの進化において非常に重要です。トヨタ版「CX-80」は、未来のシティライフを見据えたクルマがどのように進化してきたのかを示す好例であり、都市部におけるクルマの在り方を考える上での示唆を与えてくれます。
現在、クルマは単なる移動手段としてだけでなく、生活の一部としての役割が強く求められています。環境問題への対応や多様なニーズへの対応が求められる中で、過去のアイデアをどのように再評価し、未来に生かしていくかが今後の課題となるでしょう。
こうした背景を踏まえ、最新のクルマ選びにも変化が生まれています。谷口信輝さんが選考委員を務める「日本カー・オブ・ザ・イヤー」では、さまざまな観点からクルマが評価されていますが、「人馬一体」というキーワードが今年の選考のポイントです。これは、クルマがどれだけ運転者に快適さと楽しさを提供できるかを示す重要な基準です。
まとめとして、日本のクルマの歴史は、女性たちの活躍や未来のシティーカーのコンセプトに見られるように、多くの挑戦と変革の積み重ねです。これらの歴史を踏まえつつ、未来のクルマ作りに活かすことが求められています。日本の自動車産業がこれからどのように進化していくのか、その先にある「すべての人が輝ける日本」の実現に期待が寄せられています。
[鈴木 美咲]