ランゲラック、名古屋グランパスでの伝説的な旅に幕 – Jリーグの歴史に名を刻む
ランゲラックが刻んだ名古屋での軌跡とJリーグの外国人GKの伝説
名古屋グランパスのゴールキーパー、ランゲラックが今季限りで退団する。彼にとって30日のホーム最終戦・鳥栖戦は、名古屋でのキャリアの総決算となる試合である。2018年にチームに加入して以降、ランゲラックは数多くの記録を打ち立て、名古屋の象徴としてその名を刻んできた。彼の離脱は名古屋のみならず、Jリーグ全体にとっても大きな損失となるだろう。
ランゲラックは名古屋での7年間、家族と共に日本での生活を楽しみ、多くの思い出を作ってきた。久屋大通公園や名城公園、瑞穂公園での家族との散策は彼にとって重要な時間だった。三人の子供がこの7年間で生まれ、彼のプライベートも大きく変化した。サッカーという職業が彼に与えたものはもちろんだが、家族と共に過ごした日々が、彼の心に深く刻まれている。
スポーツの世界では、外国人選手がチームにもたらす影響は計り知れない。ランゲラックもまた、名古屋グランパスに多大な貢献を果たした。彼は、2018年からの残留争いを乗り越え、2021年には21戦無失点という輝かしい記録を樹立し、クラブの初となるルヴァン杯制覇にも貢献した。2023年5月にはJ1通算185試合出場で、クラブの外国人最多出場記録を更新し、現在では240試合にまでその記録を伸ばしている。
ランゲラックの名古屋での活躍は、Jリーグの歴史において特筆すべきものであるが、彼と同様に印象的な外国人ゴールキーパーも存在する。Jリーグ創成期に活躍したブラジル人GKシジマールやオランダ出身のディド・ハーフナーは、いずれも日本サッカー界に大きな影響を与えた人物である。シジマールはその卓越した反射神経と身体能力で「クモ男」と呼ばれ、Jリーグを盛り上げた一方、ディド・ハーフナーはGKコーチから現役復帰を果たし、後に日本国籍を取得するなど、異国の地でのサッカーライフを全うした。
このような外国人選手たちの活躍は、Jリーグに多様性と国際性をもたらし、リーグの魅力を一層高めている。彼らが示してきたのは、単なる技術の高さだけでなく、異文化の中での適応力と、チームメイトへの影響力である。ランゲラックもまた、名古屋での生活を通じて、サッカー以外の様々な面での成長を遂げたことだろう。
彼の次のステージは、かつてキャリアを始めたメルボルンビクトリーへの復帰である。40歳まで現役を続けたいという希望を持ち、引退後にはオーストラリアでGKコーチを目指す意向を示している。ゴールを守る仕事を「芸術」と表現する彼の情熱は、次世代の選手たちに受け継がれることだろう。
名古屋グランパスとメルボルンビクトリーがともにアジア・チャンピオンズリーグ(ACL)に出場すれば、再び日本で彼の姿が見られるかもしれない。さらに、彼の長男サンティアゴ君がグランパスの下部組織でプレーしたいと希望すれば、再び日本での生活が始まる可能性もある。ランゲラックの物語は、彼自身のサッカーキャリアだけでなく、家族との絆や異文化での生活を通じた成長の物語でもある。
彼が日本に残した影響は、名古屋グランパスのファンだけでなく、Jリーグ全体にとっても長く語り継がれるだろう。ランゲラックのような選手がまた現れることを期待しつつ、彼のこれからの活躍に注目したい。
[高橋 悠真]