スポーツ
2024年12月01日 17時30分

Netflixヒット『極悪女王』で再注目!80年代女子プロレスの現金経済と人間ドラマ

80年代女子プロレスの裏側に潜む豪快な現金経済とドラマティックな人間模様

Netflixのドラマ『極悪女王』のヒットは、1980年代の日本女子プロレスを再びスポットライトの下に引き戻しました。ダンプ松本やクラッシュ・ギャルズといった伝説のレスラーたちが活躍した時代は、単なるリング上の試合だけではなく、その裏側にある驚くべき現金経済や選手たちの人間模様も含めて、非常に興味深いものです。この記事では、女子プロレス界の豪快な金銭感覚と、選手たちが直面した試練について深く掘り下げていきます。

段ボール箱の現金と豪快すぎるカネ遣い

全日本女子プロレスは、その全盛期において観客動員数が急増し、まさに「どこに行ってもお客さんがいっぱい」という状況でした。長与千種のインタビューによれば、チケット売り場を通ると段ボール箱から現金が溢れている光景が日常茶飯事だったといいます。松永兄弟が「テケツ」と呼んだチケットの売り場は、まるで現金が詰まった宝箱のように扱われ、「入んねーんだよ!」と蓋を閉める姿は、まさに豪快そのものです。

プロレスの試合だけでなく、物販も大きな収益源でした。4トントラックで運ばれる大量のグッズは、選手たちの知らないところで売られていたといいます。長与自身も「自分の知らないグッズが大量に出回っていた」と驚きを隠せません。選手たちへのロイヤリティはほとんどなく、収益の大部分は経営側に流れたというのも、当時のプロレス界の特徴です。

「おシャカ」だった長与千種とクラッシュ・ギャルズの誕生

長与千種は当初、「おシャカ」つまり「使い物にならない」と呼ばれ、2軍に落とされることもありました。全日本女子プロレスは経営難のため、AコースとBコースに分かれて巡業を行いましたが、Bコースは田舎や離島を回り、動員数に差が出てしまい赤字に苦しんでいました。AチームとBチームの間には熾烈なライバル心が生まれ、試合だけでなく、選手間の競争も激化しました。

そんな中、長与は自身のキャリアに絶望し、「もう辞めよう」と考えていました。しかし、最後のチャンスとして与えられたライオネス飛鳥との試合で、彼女は禁じ手を解禁し、思い切り戦うことを決意しました。この試合がクラッシュ・ギャルズの伝説の始まりとなり、長与千種は一躍スターの座を手にすることになったのです。

テキ屋イズムと現金商売の真髄

松永兄弟の経営スタイルは、まさにテキ屋のそれでした。興行の成功に固執し、現金が目の前で動くことに喜びを感じる彼らは、焼きそばの売上にすら情熱を注いでいました。焼きそばの価格は試合の進行に伴って変動し、メインが終わる頃には100円で投げ売りされることもありました。この変動相場制は、まるで株価のようにダイナミックで、観客を楽しませる一環でもありました。

また、松永会長の金遣いは非常に粋で、「宵越しのカネを持たない」江戸っ子のようでした。高級車やクルーザーを次々と購入し、そのたびに「買ったんだよ」と誇らしげに見せるものの、すぐに飽きてしまうというエピソードもあります。彼の経済観は、現金が動くこと自体に価値を見出すものであり、未来の計画よりも今この瞬間の喜びに重きを置いていたのです。

女子プロレスの遺産と未来

80年代の女子プロレスは、単なるスポーツ以上の文化現象であり、選手たちの苦悩や成功、そして経営者の豪快な金銭感覚が組み合わさった一大エンターテインメントでした。長与千種やライオネス飛鳥のようなスターが登場し、彼女たちのドラマティックなストーリーは今も多くの人々に影響を与え続けています。

現代のプロレス界は、契約がよりシステマティックになり、選手たちも自身のブランド価値を認識し、ロイヤリティ契約を結ぶことが一般的になっています。しかし、80年代のような豪快で自由奔放な時代の雰囲気は、ある意味で失われてしまったノスタルジックな要素でもあります。過去の遺産を振り返りつつ、未来のプロレス界がどのように進化していくのか、その行方はこれからも注目に値するでしょう。

[佐藤 健一]