火災で逝去した国際政治学者・猪口孝氏の情熱と哲学が残したもの
火災により逝去した国際政治学者・猪口孝さん、学問の情熱とタンポポの哲学
東京都文京区にあるマンション火災で、国際政治学者として名高い東京大学名誉教授の猪口孝さん(80)と長女(33)が命を落とした。この火災は、学問の世界において多くの業績を残した猪口さんの人生と、彼が持ち続けた哲学的な信念に終止符を打つ形となった。彼の妻であり、元少子化担当大臣の猪口邦子参院議員(72)は、学問の友でもあった夫との別れに涙を流す日々が続いている。
学問への情熱:岩波文庫を原語で読むという挑戦
昭和19年、新潟市に生まれた猪口孝さんは、東京大学卒業後にマサチューセッツ工科大学で政治学博士号を取得し、その後、上智大学や東京大学の教授職を歴任した。彼の人生は常に学問の追求に満ちていた。特に、学生時代に始めた「岩波文庫の哲学や社会科学を原語で読む」という挑戦は、彼の学問に対する情熱を象徴するものだった。
「5時間かけても1ページも終わらなかったが、それは気にならなかった」と語る彼の姿勢には、まさにドンキホーテの如く、風車に向かって突進する情熱があった。マックス・ウェーバーの『職業としての学問』との出会いを通じて、彼は学問の道を一歩一歩固めていった。
学問と人生の交差点:新婚生活と「タンポポな生き方」
猪口邦子さんとの結婚は、彼の人生において学問と家庭が交わる特別な瞬間だった。「まだまともにデートもしたことがない」という状況で、彼は率直にプロポーズし、彼女も即答したというエピソードは、彼の真摯さと直球な性格を物語っている。新婚生活は、学問の殿堂のような1DKでスタートし、彼らは貧しいながらも知的な冒険を続けた。
猪口孝さんは「タンポポな生き方」という著書で、自らを「情報の綿毛」と称していた。フランスの哲学者デカルトの「我思う、故に我あり」をもじり、「我著す、故に我あり」とする彼の信条は、書くことによって自分を確立し、メッセージを世界に発信するという彼の生き様そのものだった。
突然の別れ:火災が奪った未来へのメッセージ
11月27日、文京区小石川のマンションで発生した火災は、約150平方メートルを全焼させ、約8時間半の後に鎮火した。警察の調べでは、火元は応接室とされ、失火の可能性が高いとみられている。孝さんと長女は、その日、別々に帰宅し、火災発生時には家の中にいた。
この火災は、彼が掲げた「タンポポのように情報を世界に飛ばす」というビジョンを未完のままにした。しかし、彼の業績とメッセージは、今もなお学問の世界で受け継がれ続けている。彼が残した数々の学術書や、彼の生き様は、未来の研究者たちにとっての指標であり、彼自身が目指した「タンポポ」としての役割を果たし続けている。
猪口孝さんが築いた学問の殿堂は、物理的には失われたかもしれないが、その精神は、彼に影響を受けた多くの人々の中で生き続けている。彼の人生とその哲学は、まさに「綿毛」となり、世界中に広がり続けるのだろう。
[伊藤 彩花]