国際
2024年12月04日 15時00分

尹錫悦大統領の「非常戒厳」:韓国政治の地鳴りとその波紋

韓国の政治的地鳴り:尹錫悦大統領の戒厳令とその余波

韓国の政治舞台で突如として発生した「非常戒厳」が、尹錫悦大統領の政権を揺るがす結果となりました。12月3日夜、尹氏が発した戒厳令は、政府への批判を封じ込めようとする試みでしたが、たった6時間後には解除され、その後の混乱が広がる一方です。この出来事は、韓国の政治史における一大事件として刻まれるでしょう。

尹大統領は、国会で多数を占める最大野党「共に民主党」との熾烈な対立を背景に、戒厳令を発動しました。国会の政治活動を禁じ、軍部隊が国会に突入するという、まさにクーデターの様相を呈しました。しかし、野党と市民の迅速な反応が功を奏し、「戒厳解除要求案」が可決されると、戒厳令は解除されました。

この一連の動きは、韓国国内外に波紋を広げました。野党は尹大統領の辞任を要求し、応じない場合は弾劾手続きに入る構えを見せています。韓国の政治システムは議会制民主主義に基づいており、戒厳令のような強権的な措置は、民主主義の基本原則に反するとして強く批判されています。

戒厳令の背景と大統領の苦境

尹大統領の突然の戒厳令発動の背景には、彼の政権運営が行き詰まり、支持率が低下しているという現実があります。今年4月に行われた国会選挙では、野党勢力が圧勝し、尹政権は法案や予算が通らない状況が続いていました。さらに、尹氏及びその夫人に関わる疑惑が相次いで浮上し、彼の求心力は著しく低下していました。

このような状況下での戒厳令は、彼自身の政治生命を維持するための絶望的な試みであったと見る向きもあります。韓国では、1970年代の朴正煕大統領時代以来、戒厳令は非常に稀な措置であり、今回の発動は異例中の異例です。

戒厳令は、政治活動の一切を禁じ、報道を戒厳令の管理下に置くなどの超法規的措置を取るものでした。まさに、ミャンマーの軍事クーデターを彷彿とさせる動きです。しかし、尹氏はこの作戦を大統領官邸内のごく一部と共に進めたため、軍の動きが遅れ、計画は頓挫しました。

野党と市民の反発と戒厳令の解除

尹大統領が戒厳令を発した直後から、韓国の市民と野党は迅速に動き、国会での「戒厳解除要求案」の可決を目指しました。与野党の議員たちは急いで国会に集まり、議案の可決を阻止しようとする軍部隊と警察に対抗しました。市民も国会に押し寄せ、軍の進入を防ぐために警官隊と対峙しました。

この「国会争奪戦」は、野党と市民が制し、戒厳解除要求案が可決されると、軍は国会から撤収を始めました。尹大統領は憲法に基づき戒厳令を解除せざるを得なくなり、その政治的野望は潰えました。尹氏の演説開始からわずか2時間半で、戒厳令は法的根拠を失ったのです。

戒厳令の解除は市民にとって勝利であり、韓国の民主主義を守るための重要な出来事でした。しかし、尹氏はこの失敗の代償として、政権維持がさらに難しくなりました。すでに大統領府の秘書室長ら高官が辞意を表明し、政権の崩壊が現実味を帯びています。

今後の韓国政治と国際的影響

尹大統領に対する弾劾訴追案は、国会での与党からの造反議員が必要ですが、その可能性も否定できません。韓国の憲法裁判所での審理が必要となるものの、与野党間の対立が激化している状況では、政治的な行き詰まりが続くことが予想されます。

韓国の政治は、今まさに岐路に立っています。尹大統領が戒厳令に踏み切ったことは、彼の政権運営の失敗を象徴するものであり、今後の韓国の政治情勢は不透明です。しかし、民主主義の基盤を守るために市民と野党が迅速に立ち上がったことは、韓国の社会において希望の光となる出来事でした。

[松本 亮太]