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2024年12月06日 07時10分

キタニタツヤが描く「ゆきてかへらぬ」:大正ロマンと詩の共鳴

キタニタツヤが描く大正ロマンの光と影

時代が巡るように、芸術もまた時代を超えて心に響くもの。映画「ゆきてかへらぬ」は、そんな芸術のひとつである中原中也の詩を主題に、大正時代の情熱的で複雑な愛の物語を描いています。キタニタツヤが初めて長編映画のために書き下ろした主題歌「ユーモア」は、この映画の世界観をさらに深める鍵となっています。彼の楽曲は、映画の余韻に浸りつつ、独特のリズムと詩的な歌詞で観客を新たな次元へと誘います。

時代を超えた詩人の声

中原中也という名前を聞いて、どんなイメージを思い浮かべるでしょうか。彼は、短い生涯を駆け抜けた天才詩人として知られ、彼の詩は今でも多くの人々に読まれ続けています。その詩の魅力は、言葉が時に武器となり、時に癒しとなるという不思議な力にあります。キタニタツヤは、この中也の詩に対する愛とリスペクトを込めて「ユーモア」を作り上げました。

詩を書くことは、意味なくそこにある現実をユーモラスに捉え直し、言葉という形で再構築することだとキタニは語ります。中原中也の詩もまた、彼の内なる感情を絶妙に言葉に託したもので、現代の私たちの心にも強く響きます。キタニが映画のために作り上げたこの楽曲は、映画の物語と中也の詩の世界を接続する重要な役割を果たしているのです。

壮絶な愛と青春の物語

「ゆきてかへらぬ」は、大正時代の文化的背景を舞台に、実在の人物である女優・長谷川泰子、詩人・中原中也、そして文芸評論家・小林秀雄の三角関係を描いた作品です。この時代は「文化の百花繚乱」とも呼ばれ、多くの芸術家たちがその情熱を燃やしていました。映画は、そんな時代に生きた彼らの青春の輝きと、その裏に潜む苦悩を鮮やかに映し出します。

泰子、中也、小林の3人を演じるのは、広瀬すず、木戸大聖、岡田将生という豪華なキャスト。彼らの演技は、映画の持つ独特の雰囲気をより一層引き立てています。特に、彼らが織りなす複雑な人間関係や感情の機微は、観客にとっても見逃せない見どころとなるでしょう。

映画と音楽の共鳴

キタニタツヤの「ユーモア」は、映画のストーリーと密接にリンクしており、観る者の心を揺さぶります。広瀬すずは、この楽曲について「映画の余韻が残りつつ、後半は違う世界観で面白いバランス感の楽曲」と評しています。彼女の言葉通り、この楽曲は映画の中で重要な役割を果たし、観客を映画の世界に引き込み続けます。

木戸大聖は「3人のキャラクターのどの人を歌詞の主人公においても当てはまる」と語り、岡田将生も「歌詞を見て聴くことで印象が変わる」と述べています。これらのコメントからも、キタニの楽曲が映画のキャラクターたちの心情に深く結びついていることが伺えます。彼の音楽は、まるで映画そのものが詩であるかのように、言葉とメロディが一体となって物語を紡ぎます。

現代に響く中也の詩

キタニタツヤ自身が語るように、人は永遠ではないものの、言葉は永遠になり得るという視点は、中也の詩を読み解く上で非常に重要です。彼の詩は、現代の私たちにとっても、その言葉が心に浸透し続ける力を持っています。「ゆきてかへらぬ」もまた、観る者にとって中也の詩と同じように、心に残る作品となることでしょう。

映画のラストシーンで、泰子と小林にとって中也の詩がどのように響いていたのか。そして、劇場を後にする私たちがこの映画から何を感じ取るのか。それは、キタニタツヤの楽曲が示すように、それぞれの心にユーモラスでありつつも深い影響を与えるに違いありません。

この映画と楽曲の融合は、大正時代の物語を現代へと橋渡しする、まさに時を超えた芸術の証です。中也の詩がそうであるように、「ゆきてかへらぬ」と「ユーモア」は、私たちの心に長く残り続けるでしょう。

[松本 亮太]

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