スポーツ
2024年12月06日 22時20分

名古屋で輝く安藤美姫、ジュエリーとフィギュアスケートの交差点

名古屋の輝きとフィギュアスケートの現実:ジュエリーとリンクに揺れる人生

名古屋の名だたるデパートで開催されたジュエリーイベントに、かつてのフィギュアスケート女王、安藤美姫が華やかに登場した。彼女はその地元で、ウサギをモチーフにしたジュエリーコレクションを手に取り、その魅力を来場者に伝えた。ウサギ年に生まれたデザイナー、河原シンスケとの不思議な縁を感じながら、彼女はプロスケーターから一転してジュエリースペシャリストとしての一面を見せた。

このイベントは、安藤にとって新鮮な経験だったという。「私の地元でこういったイベントに参加できるのは、本当に貴重な体験でした。お客様に似合うジュエリーを選ぶお手伝いをして、まるで信頼できる友人のように感じました。」彼女のインスタグラムには、黒のボディースーツ姿が投稿され、その見事な装いにフォロワーからは絶賛の声が寄せられた。

一方、フィギュアスケートの舞台裏では、元日本代表のペアスケーター高橋成美が、彼女の過去と現在を振り返るインタビューで、競技の厳しい現実を語った。ソチ五輪での経験は、高橋にとって達成感とは程遠いものだった。「五輪の日本代表になると、環境は確かに良くなりましたが、ペアスケート自体は不人気で、時には集合写真から切られることもありました。」と彼女は語る。

高橋は9歳で中国に移り住み、そこでペアスケートの楽しさに目覚めたが、日本に戻ってからは練習環境の厳しさに直面した。リンクでの練習時間を確保するために、深夜や早朝に滑る日々が続き、その生活はまるでスケートのために生きるようなものであった。「練習環境が最悪で、時にはシングルに戻ろうかとも考えましたが、ペアでのスケートの楽しさを知ってしまったので、なかなか諦めきれませんでした。」

それでも希望を捨てず、2007年にはカナダへ渡り、マーヴィン・トランと出会った。この出会いは高橋にとって、スケート人生のターニングポイントだった。「マーヴィンとの相性は抜群で、まるで運命的な出会いでした。彼とのペアで世界選手権にも出場し、日本代表として滑ることができました。」

しかし、フィギュアスケートの競技人生は決して平坦ではない。高橋は、ソチ五輪を前にしてマーヴィンと別れ、新たなパートナー木原龍一とともに五輪舞台に立つことになった。そして、個人戦と団体戦を通じて、彼女は自らの限界を感じたと語る。「団体戦は特に緊張しました。失敗すればチーム全体に影響が及ぶので、非常にプレッシャーがありました。」

また、日本のスケート界でのペア競技の認知度の低さも、高橋にとっては大きな壁であった。「ペアスケートは本当に人気がなくて、試合前の記者会見でも、ペアとアイスダンスは写真撮影から外れることがありました。」と彼女は苦笑する。ペアスケートの厳しい現実に直面しながらも、彼女はその中で自分を表現し続けた。

高橋は、ソチ五輪後もペアを続けたが、最終的には2018年に現役を引退した。「最後は未練を残しつつも、自分の力を出し切ったと思います。スケートから離れて、また新しい自分を見つけていきたい。」と彼女は語り、現在は様々なスポーツに挑戦し、バラエティ番組でも活躍している。

その一方で、フィギュアスケートの未来は明るい兆しを見せている。若い世代の台頭が期待される中、ジュニアGPファイナルでは日本の島田麻央がショートプログラムで首位発進した。彼女は「気持ちよく跳べた」と演技を振り返り、笑顔を見せた。このような若手選手の活躍が、フィギュアスケート界に新たな風を吹き込むことを期待せずにはいられない。

名古屋のジュエリーイベントで輝いた安藤美姫と、厳しい競技生活を語る高橋成美。彼女たちの異なる歩みの中で、共通するのは、挑戦し続ける姿勢と自らの道を切り開く力強さだ。フィギュアスケートという舞台で、彼女たちはそれぞれの人生を踊り続けている。

[松本 亮太]

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