国際
2024年12月11日 07時00分

オスロから世界へ!日本被団協が訴える核なき未来のメッセージ

オスロで響く声、日本被団協の訴え――核なき未来への願い

ノルウェーの首都オスロで開催されたノーベル平和賞授賞式は、通常の授賞式とは異なる静かな緊張感に包まれていました。日本被団協を代表して登壇した田中熙巳さん、その92年の人生の中で、核の脅威に立ち向かってきた彼の言葉が会場を満たしました。「核兵器は人類と共存できない」――その訴えは、被爆者としての経験から生まれたものでした。

田中さんが語ったのは、13歳の時に長崎で被爆した自身の経験です。「道筋の家はすべて焼け落ち、その周りに遺体が放置されていた」と振り返るその言葉には、核兵器の非人道性が刻まれていました。無力感、恐怖、そして終わりのない悲しみ。戦争の中で、人間性を失うことのない未来を求める彼の声は、スタンディングオベーションという形で会場全体から支持を受けました。

核兵器と共存できない現実

田中さんの「核兵器は一発たりとも持ってはいけない」という訴えは、単なる願いではありません。それは、核兵器が存在する限り、いつかは使われる可能性があるという歴史的な教訓に基づくものです。核の抑止力という考え方は、あたかも火に油を注ぐようなもので、いつかその火が燃え広がることを恐れずにはいられません。

特に、ウクライナ情勢や中東の不安定化が進む中、核兵器の使用が現実味を帯びてきています。「核のタブーが崩されようとしている」と田中さんは警鐘を鳴らしました。これは単なる理想論ではなく、核の脅威が現実に直面している今だからこそ、彼の言葉は重みを増します。

次世代へのバトン

被爆者の平均年齢が85歳を超える中、田中さんは次世代への運動の継承を強く望んでいます。「自分で考える未来、教えてもらう未来じゃなくて」と語る彼の言葉には、未来を創り上げるのは次世代の手に委ねられているという確信が込められています。核兵器の廃絶を求める運動は、過去の出来事に対する反応であると同時に、未来への責任でもあります。

広島や長崎での被爆体験は、単なる過去の記憶ではなく、未来を形作るための貴重な教訓です。長濱ねるさんのように、被爆3世として平和活動に参加する若者たちも、田中さんのメッセージを胸に刻み、次世代へのバトンを受け取っています。彼らの活動が日本国内だけでなく、世界中で共鳴し、核兵器のない未来を実現する一助となることを願わずにはいられません。

平和賞を超えたメッセージ

ノーベル平和賞の授賞式は、単なる表彰の場ではなく、平和に向けた強いメッセージを発信する場でもあります。ノルウェー・ノーベル委員会のフリードネス委員長も、「平和への希望に尽力するすべての被爆者を称えたい」と述べ、日本被団協の活動が持つ意味を強調しました。

世界が核の脅威に直面している今だからこそ、被団協の受賞は重要な意味を持ちます。それは、核兵器廃絶の運動が単なる夢物語ではなく、実現可能な未来の姿であることを示しています。核のない世界を求めるその声は、決して消えることのない希望の灯火として、次世代に受け継がれていくことでしょう。

田中さんが語ったように、「核兵器も戦争もない世界の人間社会を求めて、ともに頑張りましょう」。その呼びかけは、世界中の人々に向けられたものであり、核兵器廃絶に向けた新たな一歩を踏み出すための力強いメッセージです。

[山本 菜々子]

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