国際
2024年12月11日 18時30分

ノーベル平和賞で田中熙巳さんが核兵器廃絶を訴える感動スピーチ

核兵器と共存を拒む声:田中熙巳さんのノーベル平和賞スピーチ

12月10日、ノルウェーのオスロ市庁舎で開かれたノーベル平和賞授賞式で、日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)が栄誉に輝きました。この受賞は、核兵器廃絶を求める長年の活動が世界に認められたことを示しています。授賞式では、長崎原爆の被爆者である田中熙巳さんが感動的なスピーチを行い、核兵器の廃絶を訴えました。

田中さんは13歳の時、爆心地から3キロ離れた自宅で被爆しました。彼の体験は、言葉では表しきれない悲劇の一端を私たちに伝えます。彼が目にしたのは、黒く焼き尽くされた街、放置された遺体、そして救援の手が差し伸べられることなく苦しむ人々の姿でした。「核兵器は一発たりとも持ってはいけない」という彼の言葉は、核兵器が人類にとっていかに非人道的であるかを強調しています。

歴史の教訓と核の現状

1945年8月9日、長崎に投下された原子爆弾は、数十万人の命を奪い、都市を壊滅させました。この出来事は、核兵器の破壊力とその非人道性を世界に知らしめるものでした。しかし、戦後も核兵器は増え続け、現在では約1万2000発の核弾頭が地球上に存在するとされています。そのうち4000発は即座に発射可能な状態で配備されています。

核兵器は一国家の安全保障を担保するという名目で存在し続けているが、その存在は逆に人類全体の安全を脅かしています。冷戦時代における米ソの核軍拡競争は、核の抑止力がもたらす危険性を示すものでありましたが、21世紀の今でも核の脅威は消えていません。

田中さんのスピーチは、核兵器が持つ「タブー」の破壊に対する警鐘でもあります。ウクライナ戦争や中東での紛争において、核の使用をちらつかせる動きが見られることに彼は懸念を示しています。これらは、核兵器が単なる威嚇の手段として留まらず、実際の使用が視野に入る危険性を孕んでいることを示唆しています。

被爆者の声と市民社会の役割

被爆者たちは、その体験を通じて核兵器の非人道性を訴え続けてきました。田中さんはスピーチで、被爆者たちが病苦や差別の中で生き続けなければならなかったことに触れ、彼らの声が核廃絶運動の原動力であることを強調しました。核兵器廃絶に向けた運動は、彼らの声に支えられ、国際社会の中で「核のタブー」を形成する重要な役割を果たしてきました。

1956年に結成された日本被団協は、核兵器廃絶と原爆被害への補償を求めて活動を続けています。1954年のビキニ環礁での水爆実験による被曝事件が、日本国内での反核運動の火種となり、3000万を超える署名を集める原動力となりました。この運動は、核兵器の非人道性を世界中に訴えるための大きな一歩となりました。

また、田中さんは、被爆者が日本国外でも苦しんでいる現状を指摘しました。戦後、母国に帰国した韓国の被爆者や、アメリカ、ブラジル、メキシコ、カナダなどに移住した被爆者たちは、原爆被害への無理解と戦い続けています。この問題は、国境を超えた核兵器の影響を再認識させ、国際的な連帯の必要性を示しています。

核兵器廃絶への道のり

核兵器廃絶は一朝一夕に成し遂げられるものではありません。田中さんは「核兵器をなくしていくためにどうしたらいいか、世界中のみなさんで共に話し合い、求めていただきたい」と呼びかけました。これは、単なる訴えにとどまらず、世界中の市民社会に対する行動の呼びかけでもあります。

核兵器の廃絶は、国際政治の中での重要な課題であり続けています。しかし、その実現には各国政府だけでなく、個々の市民が声を上げ、行動を起こすことが不可欠です。より良い未来を築くためには、核兵器がもたらす脅威を直視し、共に解決策を模索する姿勢が求められています。

田中さんのスピーチは、核兵器廃絶のために声を上げ続けることの重要性を改めて示しました。彼の願いは「核兵器は人類と共存できない」という信念が、世界中の市民の中に根付くことです。この願いを胸に抱き、多くの人々が核兵器のない未来を目指して行動を起こすことが求められています。

核兵器のない世界の実現は、実に難しい課題です。しかし、その困難さを乗り越え、より平和で安全な地球を次世代に引き継ぐために、私たちは共に頑張らなければなりません。核兵器廃絶という理想は、田中さんのような勇気ある声があってこそ成し遂げられるのです。

[山本 菜々子]

タグ
#ノーベル平和賞
#核兵器廃絶
#田中熙巳