北の富士勝昭さんをしのぶ会:2000人が集結、相撲界への遺産を称える
北の富士勝昭さんをしのぶ会:2000人が集った日、大相撲界への輝かしい遺産
11月に82歳で亡くなった元横綱であり、人気解説者だった北の富士勝昭さんをしのぶ会が、東京都墨田区の八角部屋で18日に開かれました。寒空にもかかわらず、角界関係者や一般のファンら約2000人が集まり、故人を偲ぶ様子はまるで壮大な演劇の一幕のようでした。
祭壇には柔らかい笑顔を浮かべた北の富士さんの遺影が掲げられ、戒名には軽妙洒脱な人柄を表す「粋」の文字が入れられました。「粋」という言葉に込められた意味は、彼の生涯を象徴しています。おしゃれでダンディーなその姿勢は、彼の相撲解説にも表れていました。彼の解説はただの技術的な分析に留まらず、まるで友人と語り合うかのような親しみやすさがありました。
八角理事長と北の富士さんの縁:感動的な師弟物語
しのぶ会でのあいさつには、北の富士さんのまな弟子である八角理事長が立ちました。彼は涙ながらに、師匠としての北の富士さんへの感謝の言葉を述べ、会場を感動の渦に巻き込みました。八角理事長が14歳で出会った北の富士さんは、彼の人生を大きく変えた存在です。彼は「親方と同じように相撲人生を全うする」と約束しました。
この師弟関係はまさに相撲界の精神そのものであり、世代を超えて伝承されるべきものです。八角理事長の言葉は、北の富士さんが築いた人間関係の深さを物語っています。それは単なる技術の伝承ではなく、人としての成長を促すものでした。
多くの著名人も参列:北の富士さんの影響力
しのぶ会には、歴代の横綱や関脇、元プロレスラーの天龍源一郎や歌手の松山千春さんなど、多くの著名人が参列しました。彼らは皆、北の富士さんの存在の大きさを認め、感謝の意を表しました。元関脇・高見山関は「よく相談できる男だった」と振り返り、彼の人柄を称えました。
また、北の富士さんのファン層は実に幅広く、老若男女を問わず、多くの人が彼の死を惜しみました。ある78歳の女性ファンは「北の富士のお嫁さんになりたかった」と語り、彼の魅力がいかに多くの人々を惹きつけていたかを物語っています。
北の富士さんの相撲人生:伝説の軌跡
北海道旭川市出身の北の富士さんは、14歳で出羽海部屋に入門し、1964年初場所で新入幕を果たしました。彼は「北玉時代」を築き、幕内優勝は10度を数えました。引退後は九重部屋の師匠として千代の富士や北勝海の両横綱を育て、その後はNHKの大相撲中継の解説者としても活躍しました。
彼の解説は、技術的な深さとユーモアを兼ね備え、視聴者に愛され続けました。和服姿での粋なたたずまいは、まるで舞台上の俳優のようでした。彼の解説を聞くことは、相撲だけでなく、人生についても学ぶ機会でした。
北の富士さんの遺したものは、単なる記録や技術ではなく、人と人とのつながりや、文化としての相撲の深さです。彼が大切にした「粋」の精神は、これからも相撲界で生き続けるでしょう。彼の死を悼む多くの人々が集まったこの日、それぞれが彼との思い出を胸に、未来の相撲界を支えていくことでしょう。
[松本 亮太]