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2024年12月22日 13時20分

K-1レジェンド角田信朗が語る、格闘技界の変遷と新たな挑戦

かつてのK-1レジェンド、角田信朗が語る格闘技界の変遷と彼の新たな挑戦

1990年代から2000年代初頭、格闘技イベントK-1はまさに年末の風物詩として、多くのファンを魅了しました。K-1の顔とも言える角田信朗氏は、その中心に立ち続け、選手、審判、そして競技統括プロデューサーとして、格闘技界を牽引してきました。彼の格闘技に対する情熱と献身は、今でも多くの人々に影響を与え続けています。しかし、角田氏の人生は格闘技だけにとどまらず、彼自身が「漢」としての生き方を模索し続けています。

K-1の黄金時代とその後の格闘技界

角田氏によれば、K-1は単なる格闘技イベントにとどまらず、プロ野球やJリーグのような「メジャースポーツ」へと成長することを目指していました。彼の語る「メジャースポーツ」の絶対条件とは、競技人口の増加です。つまり、親が子供にやらせたいと思うかどうかが重要なのです。この視点は、競技に取り組む上での基盤とも言えるでしょう。

しかし、角田氏が指摘するように、現在の格闘技シーンでは、一部の選手がパフォーマンスを優先し、スポーツの精神が失われているように見えることもあります。角田氏は、かつてK-1が掲げた「礼に始まり礼に終わる」という武道の精神を、今後も格闘技界に引き継いでいってほしいと願っています。

炎上からの復活と新たな挑戦

角田氏の人生は決して順風満帆ではありませんでした。彼は7年前にSNSでの炎上を経験し、仕事がゼロに近い状態にまで落ち込みました。それでも、彼は諦めずに立ち上がり、多くの人々に支えられて再び舞台に立つことができました。その一例が、カーコンビニ倶楽部の林成治社長との出会いです。林社長は、角田氏にCM出演の機会を与え、再起の道を切り開く手助けをしました。この経験を通じて、角田氏は「漢」としての生き方をさらに強く意識したと言います。

人を笑顔にすることが「漢」の生き方

現在、角田氏は格闘技だけでなく、歌手やタレントとしても活躍しています。彼の仕事の中心は、人々を笑顔にすること。たとえば、横浜DeNAベイスターズの「横濱漢祭」応援総長としての活動を通じて、彼は多くの人々に元気を与えています。彼が語る「傾奇者恋歌」の歌詞にある「女(ひと)に微笑(えみ)だけ残しゆく」という言葉は、まさに彼の使命感を表しています。行ったことのない場所で、会ったことのない人々に笑顔を届け、その後は次の場所へと移動する。これが、角田氏が追求する「漢」としての生き方なのです。

年齢を重ねることの素晴らしさ

63歳になった角田氏は、年齢を重ねることに対してポジティブな考えを持っています。彼は「ウェルエイジング」という言葉を推奨し、年を重ねることを嘆くのではなく、良い年の重ね方をすることが大切だと語ります。彼にとって、強靭な肉体を維持することは、精神の錬磨にもつながり、未来に向けて常に前向きな姿勢を保つことができる秘訣のようです。

また、角田氏は過去にこだわらず、未来を見据えて今を生きることが重要だと考えています。「どうやって死ぬかを考えることは、どうやって生きるかを考えることにつながる」という武士道の精神を通じて、彼は一瞬一瞬を大切に生きることを心掛けています。彼のメッセージは、誰にでも共感できる普遍的なものであり、多くの人々に勇気を与えています。

[田中 誠]

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