曽我ひとみさん、拉致問題解決への希望を訴える
拉致問題の記憶と現実:曽我ひとみさんの戦いと希望
新潟県佐渡市で、北朝鮮による拉致被害者の曽我ひとみさん(65)は、母ミヨシさんの93歳の誕生日を迎えるにあたり、一刻も早い帰国と拉致問題の解決を強く訴えました。1978年の夏、曽我さんと母ミヨシさんは帰宅途中に拉致され、曽我さんが日本に帰国したのは2002年のことです。しかし、母は未だに消息不明のままです。曽我さんは、講演や署名活動を通じて、母の救出を求め続けています。
曽我さんが感じる時間の制約は、家族が高齢化する中でますます切実になっています。特に、署名の数が帰国当初に比べて減少していることは、彼女にとって深刻な懸念材料です。風化する問題に対して、彼女は「どうしても数にこだわってしまう」と語り、その悔しさを隠しきれません。特に若年層への関心不足を補うため、彼女は新しい学習教材「かあちゃんに会いたい」の制作に協力し、次世代に対して拉致問題を少しでも知ってもらいたいと願っています。
子どもたちとの対話:未来への架け橋
一方で、曽我さんらが見守る中、新潟県と福井県の小学校では「子ども会議」が開かれました。この会議では、拉致問題を学んだ子どもたちがオンラインで知見を発表し合いました。柏崎市の児童は、「拉致が重大な人権侵害である」と学び、問題を広めるためのチラシや動画を作成する計画を立てました。佐渡市の子どもたちは、政府に早期解決を求める署名を集める活動を報告し、「家族や友達を大切にする」と宣言しました。このような子どもたちの取り組みは、未来への希望の光となっているのかもしれません。
曽我さんが3月に市の福祉施設を辞め、4月から市総務課拉致被害者対策係の職員として活動していることは、彼女の決意の表れです。講演活動を通じて全国を訪れ、「拉致問題に集中して仕事ができる」と語る曽我さんには、真摯な熱意が感じられます。
署名活動と再会への願い
今年の4月、曽我さんは15年ぶりに母ミヨシさんの夢を見ました。夢の中の母は「元気でホッとした」と語りかけてきたといいますが、それ以降は夢の中にも現れないようです。「たまには出てきてくれるといいのにな」と彼女は淡い期待を寄せています。実際に再会できた時には、家庭菜園で育てた野菜で手料理を作り、食べてもらいたいという心温まる願いも口にしています。
曽我さんの活動は、全国各地での講演や、署名活動の場にも及んでいます。佐渡市のショッピングセンターで行われた署名活動では、曽我さんが「寒い冬を迎えることになる。一日一日、どう過ごしているのかなと心が痛む」と語り、母の無事を願う姿がありました。参加者たちも「少しでも力になれたら」という思いで署名をしていました。
北朝鮮による拉致問題は、単なる個人の問題ではなく、国家と国民全体が取り組むべき人権問題です。曽我さんの活動や子どもたちの学びは、私たち一人一人がこの問題を風化させず、次世代へと伝えていくための大切な一歩であると言えるでしょう。時間が流れる中で、曽我さんのように愛する人を待ち続ける人々の声を、どれだけ多くの人々が受け止められるか。それが、これからの社会に問われているのかもしれません。
[高橋 悠真]