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2024年12月29日 17時30分

真珠湾攻撃生存者ウォーレン・アプトン氏、105歳で逝去

真珠湾攻撃の象徴的生存者、ウォーレン・アプトン氏 105歳の生涯を閉じる

歴史の生き証人であるウォーレン・アプトン氏が、米カリフォルニア州でその105年の生涯を閉じました。彼は1941年12月7日に旧日本軍によって行われた真珠湾攻撃の生存者として、数少ない証言者の一人でした。彼の死去により、生存者はわずか15人を残すのみとなり、戦争の記憶を直接語れる人々はますます少なくなっています。

アプトン氏は、戦艦「ユタ」に通信兵として乗船していました。歴史の転換点ともいえるその日、彼は船上で髭を剃っている最中に、突然の攻撃に見舞われました。最初の魚雷が命中し、続く2発目で船体が転覆。彼はその混乱の中で、他の乗組員を救助しながら岸まで泳ぎ、生還しました。この出来事は、彼の人生において決して消えることのない記憶となったことでしょう。

「真の英雄は生還できなかった人々だ」

アプトン氏は時折、真珠湾攻撃の生存者として「英雄」と称されることがありましたが、彼自身はその称号を生還できなかった仲間たちに捧げていました。彼の謙虚な姿勢は、多くの人々に感銘を与え、彼を知る人々の心に深く刻まれています。

彼の人生は、戦争の経験だけでなく、その後の平和のための活動にも彩られています。朝鮮戦争にも従軍し、戦後はカリフォルニア州に戻って真珠湾生存者の支部役員として活動しました。彼の人生は、戦争の悲劇を乗り越えた強さと、平和を願う信念で満ちています。

時代の証人としての彼の存在意義

ウォーレン・アプトン氏の死去は、歴史の生き証人が減少していく現実を改めて浮き彫りにしています。彼のような生存者たちは、戦争の悲劇を直接体験した貴重な証言者であり、歴史を伝える上で欠かせない存在です。彼らの話は、戦争の恐ろしさや平和の重要性を次の世代に伝えるための生きた教科書なのです。

現在、真珠湾攻撃の生存者は15人となり、その多くが高齢化しています。彼らの記憶を未来に受け継ぐためには、その証言を記録し、共有する努力が欠かせません。歴史は繰り返さないためにも、過去の出来事を忘れず、学び続けることが必要です。

家族への思いと彼の遺したもの

アプトン氏は、海軍の看護師だった妻と結婚し、5人の子どもと数人の孫に恵まれました。彼の家族への愛情と、共に過ごした時間は彼の人生をさらに豊かにしました。妻は2018年に97歳で先立ちましたが、アプトン氏は死後に妻の隣に葬られることを望んでいたといいます。その思いは、彼にとっての「ホーム」がどこにあったのかを物語っています。

このように、彼の人生は単なる歴史の一部ではなく、家族やコミュニティに対して深い影響を与えました。彼が遺したものは、単なる記憶や証言だけでなく、人々の心に刻まれたその温かさや謙虚さです。

ウォーレン・アプトン氏の死去は、私たちにとって重要な歴史の一章の終わりを告げるものです。しかし、彼の人生から学べることは今後も多く、それは次世代に引き継がれていくことでしょう。彼のような生存者たちの記憶を大切にし、平和を求めるその意志を未来に紡いでいくことが、今を生きる私たちの責任です。

[鈴木 美咲]

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