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2024年12月31日 19時12分

能登半島地震から1年:復興への道と人々の思いを見つめて

能登半島地震から1年:未完の復興と人々の思い

2024年12月31日、石川県能登半島の内灘町や輪島市では、依然として地震の爪痕が色濃く残っています。最大震度7を記録したこの地震から1年が経ちましたが、被災地のインフラ復旧はまだ道半ばであり、人口流出も続いています。地元住民や移住者、そして地域外の関係者がそれぞれに抱える思いを通じて、震災から1年の現状を見つめてみましょう。

揺れる地面、傾く電柱と生活の困難

内灘町の西荒屋地区では、地面の液状化によって電柱や標識が斜めに傾き、波打つような道路が日常の風景となっています。50軒以上の家々に、新年を祝うしめ飾りが見られるのはわずか1軒だけです。公民館には、未だに自宅での生活用水が使えない住民が共同洗濯機を利用するために集まります。

「すべてが自分の家で完結する生活がしたい」と語る54歳の男性は、損傷した配管によりトイレと洗濯に苦労しています。袋に排便を入れて処理する生活を余儀なくされ、「しめ飾りを飾る気にはなれない」と言います。

また、築45年の自宅が液状化で大規模半壊し、仮設住宅から戻ってきた70歳の男性もいます。「この年では建て替えもできない。新しい災害公営住宅に期待するしかない」と語る彼の目には、再び家を持つという希望が薄れているようにも見えます。

家族を失った悲しみと新たな一歩

輪島市では、地震によって7階建てのビルが倒壊し、多くの人々が家族や親しい人を失いました。川崎市で居酒屋を営む楠健二さんもその一人です。妻と娘を失った彼は、未だに「あの日から時が止まっている」と話します。楠さんは、輪島から取り寄せた新鮮な魚や地酒を提供することで、遠く離れた川崎で「輪島のためにできること」を模索しています。

「輪島って今どうなってるの?」とお客さんに関心を持ってもらうことが楠さんの願いです。彼は復興が終わっていない状況を伝え続けることで、少しでも故郷の再建に貢献したいと考えています。

インフラ復旧の道半ばと人口流出

地震とその後の豪雨により、石川県の奥能登地域では深刻な人口流出が進行中です。特に若い世代の流出が顕著で、地域の将来が危惧されています。復旧が進まないインフラ、通行止めの道路、断水が続く地域など、住民の生活を困難にする要因が多く残っています。

県は、解体が必要な建物の処理を進めつつ、復興プランを策定して二地域居住の推進を掲げています。しかし、実際に復興が実感できるまでには時間がかかりそうです。能登半島の被災地では、未だにがれきが撤去されていない場所もあり、これからの復興の道のりは決して平坦ではありません。

このような状況下で、住民たちはそれぞれの立場で日々の生活を懸命に支え合っています。地震から1年を迎える能登半島では、復興に向けた動きが続く中で、地域の未来を見つめなおす時期に差し掛かっているのかもしれません。震災が残した課題は多いですが、一人一人の思いと行動が、新たな希望の光を灯すことを願ってやみません。

[鈴木 美咲]

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