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2025年01月01日 06時30分

能登半島地震1年後、深い悲しみと復興の課題が浮き彫りに

能登半島地震から1年:被災者が抱える深い悲しみと復興への長い道のり

2024年1月、石川県珠洲市を中心に能登半島を襲った地震から1年が経過しました。しかし、時間が経つにつれて自然と癒されるものではない悲しみと、復興への道のりの厳しさが浮き彫りになっています。地震によって失われた家族、崩れ去った町、そして再建への絶望感。能登半島の人々が抱える現実に耳を傾けると、そこには想像を超える苦悩と葛藤が見えてきます。

家族を失った者たちの叫び

珠洲市で妻と子ども3人を失った大間圭介さんの話は、多くの被災者の心情を代弁しているようです。地震発生当時、彼は警察官としての職務感から家を離れた瞬間に家族を失いました。「目の前にいたのに助けられなかった」と彼が語る言葉は、無力感と後悔に満ちています。震災は一瞬で人生を変え、心に深い傷を刻んでしまいました。

同様に、輪島市で居酒屋「わじまんま」を経営していた楠健二さんも、ビルの倒壊で最愛の妻と娘を失いました。彼の悲しみは、単なる喪失にとどまらず、ビルの構造的な問題に対する疑念へと向かっています。「あんな倒れ方はやっぱりおかしい」と楠さんが語る通り、原因を究明し再発防止を求める声は、被災者の心の中で今も消えることがありません。

経済の停滞と人口流出の懸念

地震とその後の豪雨で、能登半島の経済は深刻な打撃を受けました。輪島市や珠洲市など奥能登4市町では、少なくとも4分の1の事業所が廃業や休業状態に追い込まれています。経済の停滞は人口流出を助長し、地域の活力を奪い去る要因となっています。被災地の商工会議所は、事業の再建が進まなければ生活基盤が成り立たず、さらなる人口減少を招く恐れがあると警鐘を鳴らしています。

仮設住宅に移り住み、ふるさとの空気を吸いたいと願う川端利活さんのように、多くの被災者は故郷に戻ることを望みながらも、将来の見通しが立たない状況に苦しんでいます。「同じ孤独なら地元に残った方がいい」という言葉に、復興への思いが凝縮されています。

復興への歩みと政治の動向

石破茂首相は、「一番つらい思いをした人たちに、一番温かい手を差し伸べなくて何が国家だ」と語り、復興支援に力を注いでいます。2024年度補正予算案には、能登半島地震・豪雨災害の被災地復興支援が盛り込まれ、徐々に復興への動きが見え始めています。しかし、政治的な動きが必ずしも被災者の心を癒すものではありません。

衆議院選挙では、石川3区で立憲民主党の近藤和也氏が自民党の西田昭二氏を破り、15年続いた保守王国が崩れるという番狂わせが起きました。これは、被災者の声が政治に反映された象徴的な出来事とも言えるでしょう。被災地の復興は、単なる物理的な再建だけでなく、地域社会の再生をも意味しています。

能登半島の人々は、再び日常を取り戻すために長い道のりを歩んでいます。しかし、その道は決して平坦ではありません。自然災害がもたらす影響は、物理的な破壊だけでなく、心の深いところにまで及ぶのです。復興が進む中で、私たちができることは、被災者の声に耳を傾け、彼らの苦悩を理解し、共に歩んでいくことではないでしょうか。能登半島に再び希望の光が灯る日を願ってやみません。

[鈴木 美咲]

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