輪島の再生に挑む紙浩之さん、キッチンカーで希望をつなぐ
輪島の再生を願う食堂店主の奮闘と悲しみ
能登半島の一角、石川県輪島市は、その美しい自然と伝統的な朝市で知られていました。しかし、ここ数年の災害がその景観と地域社会に深い傷を残しました。2024年の能登半島地震、続く豪雨災害が重なり、地域の基盤は大きく揺らぎました。その中で、地元の食堂店主・紙浩之さんは、町の再建を目指して奮闘しています。
紙さんが営んでいた「朝市さかば」は、観光客が地元の新鮮な食材を楽しむ人気の食堂でした。観光客は朝市で購入した食材を店に持ち込み、紙さんがそれを格安で調理するというユニークなスタイルが評判を呼び、テレビや雑誌にも取り上げられました。しかし、地震の被害によって店は全焼し、紙さんは絶望の淵に立たされました。
それでも、彼の胸には町を再び活気づけたいという思いが残りました。紙さんは、その気持ちを胸に、県の補助金を利用してキッチンカーを購入し、仮設住宅で弁当を販売する計画を立てました。「いつか、若者が戻ってきたいと思える町にしたい」と話す彼の目は、未来を見据えています。
悲しみと希望の狭間で
しかし、紙さんの決意を揺るがす出来事が続きました。9月の豪雨で、彼の店を手伝っていた中学生の喜三翼音さんが犠牲となりました。翼音さんは、紙さんの店で社会勉強をし、接客の楽しさを学んでいました。紙さんにとって彼は、親族同然の存在でした。「親でもないけど、俺の命なんかくれても良いと思っている」とつぶやく彼の姿には、深い悲しみと無力感が漂っていました。
豪雨災害は、紙さんだけでなく多くの人々の心を打ちのめしました。能登半島地震から立ち直りつつあった地域に再び打撃を与え、復興への道をさらに険しいものとしました。
未来への一歩
紙さんは、翼音さんの死を受けて一度は「やっても意味がない」と感じました。しかし、彼の元に届いたのはキッチンカー購入のための補助金の通知でした。紙さんはその知らせを受け、再び立ち上がる決意を固めました。彼の手元には、翼音さんの祖父が作った「Hanonカップ」があります。翼音さんがデザインに関わったこのカップは、彼の思い出を今も生かしています。
紙さんの奮闘は、地域の若者たちにも影響を与えています。彼が教えた「シャバに出て役立つこと」は、翼音さんだけでなく、他の若者たちにも受け継がれています。紙さんは、彼らとのやり取りが心の支えになっていると語ります。「夏祭りはあるか」とメールをくれる元手伝いの若者たちの声が、彼を支えています。
能登半島地震から1年が経ち、輪島市は再建の道を歩んでいます。確かに、自然の猛威は深い傷を残しましたが、それに屈しない人々の姿勢こそが、地域の再生を支えています。紙さんのような人々の努力が、いつの日か輪島に再び若者たちを呼び戻すことでしょう。彼らの未来を信じて、輪島は今日も、明日も、歩みを続けます。
[山本 菜々子]