経済
2024年12月03日 22時40分

高島屋堺店が閉店へ!60年の歴史に幕、堺市の顔が消える日

高島屋堺店の閉店、60年の歴史が紡いだ街の記憶

昭和39年に開業した高島屋堺店が、令和8年1月7日にその長い歴史を閉じることが決定しました。このニュースは、地元の人々にとってまるで長年連れ添った友人を失うような衝撃をもたらしました。高島屋堺店は、ただの百貨店以上の存在であり、堺市の顔として多くの思い出を育んできました。その閉店が意味するものは、単なる商業施設の終焉ではなく、地域社会の一つの時代の終わりを告げるものです。

地域密着の象徴、消えゆく「まちの顔」

高島屋堺店は、堺市の中心地に位置し、駅前という利便性を生かしながら、地域のニーズに応え続けてきました。特に昭和後期から平成にかけては、食料品フロアのリニューアルや子育て支援施設の導入など、地域住民の声を反映した施策を次々と打ち出し、街と共に進化してきました。

70歳の主婦が「もう50年くらい通っている」と話すように、多くの市民にとって高島屋堺店は日常の一部となり、生活の中で欠かせない存在でした。しかし、近年の売上減少や新型コロナウイルスの影響により営業赤字が続き、閉店に至ったのです。

堺市の48歳の男性会社員は、「地方の話だと思っていた」と述べていますが、近隣に大型ショッピングモールが増えたことが、高島屋の経営を圧迫した要因の一つでした。消費者の選択肢が増えることは良いことですが、その一方で、古くからの商業施設は新しいライバルに対抗するのが難しくなってきています。

変わりゆく商業環境、地域の未来は

高島屋堺店の閉店後、建物を所有する南海電気鉄道は「HiViE(ヒビエ)堺東」というショッピングセンターに刷新することを発表しました。新たな商業施設は、地域住民のニーズに応える形でスーパーや食品店、アパレル、雑貨など、多様なテナントを誘致する方針です。

「買い物困る」から始まる、新しい日常

「買い物困る」と話す地元住民の声は、単なる商業施設の閉店による不便さを訴えるものではありません。そこには、日常の一部として愛されてきた施設が消えることへの寂しさが含まれています。日常の買い物や家族との思い出が詰まった場所が消えることは、生活の一部が失われることを意味します。

一方で、閉店は新たな可能性を模索する機会でもあります。堺市は、南海電鉄が新たに出店するショッピングセンターが地域の新たなランドマークとして生まれ変わることを期待しています。新しいテナントがどのように地域に根付くか、また、どのように新たな思い出が作られていくか、これからの展開が楽しみです。

高島屋という長年のパートナーを失うことは、市民にとって大きな変化ですが、その変化を受け入れ、新たな一歩を踏み出すことが求められています。時代は移り変わり、商業環境も変化しますが、その中で地域のニーズに応え続けることが、街の新たな未来を作る鍵となるでしょう。

[松本 亮太]