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2024年12月08日 12時32分

未解決の三億円事件!昭和の名刑事・平塚八兵衛の捜査哲学とは?

未解決の迷宮:三億円事件と昭和の名刑事、平塚八兵衛の捜査哲学

1968年12月10日、東京都府中市の朝は、通常の静寂を破る衝撃的な出来事で幕を開けた。東芝府中工場の従業員のボーナスとして運ばれていた現金2億9134万円が、白バイ警官に扮した犯人によって奪われたのだ。この事件は「三億円事件」として日本の犯罪史に刻まれることになる。大胆不敵な犯行と、それに続く史上空前の大捜査が展開されるも、事件は未解決のまま時効を迎えた。この事件に深く関わったのが、“昭和の名刑事”と称される平塚八兵衛だった。

モンタージュ写真の罠と捜査の盲点

三億円事件の捜査において、犯人逮捕の重要な手がかりとされたのが、目撃者の証言に基づいて作成されたモンタージュ写真だった。しかし、平塚氏はこの写真が「犯人に似ていない」と断言した。目撃者たちの証言が曖昧で、実際には犯人の顔をしっかりと見ていないという事実を彼は掴んでいたのだ。

目撃者たちが混乱し、プレッシャーの中で証言をしなければならなかった状況を理解し、平塚氏は捜査のミスに気づいた。証言者の心理状態に対する理解の欠如が、捜査を誤った方向に導いた可能性を彼は指摘する。彼は、「モンタージュよりも似顔絵の方が良い」と述べ、目撃者の印象をそのまま捉えることの重要性を説いた。

年齢の誤認と捜査の迷走

平塚氏が捜査に加わった後、彼は犯人の推定年齢を引き上げることを決断した。当初、犯人の年齢は18歳から25歳とされていたが、彼は30歳近いと考えた。その根拠は、目撃者の証言が信頼できないと判断したからである。現金輸送車に乗っていた行員の一人が犯人の顔を見ていないにもかかわらず、プレッシャーから虚偽の証言をしてしまったことが、捜査の方向性に影響を与えていた。

平塚氏の捜査哲学は、証言者の「立場」に目を向けることにあった。人間の心理が捜査に及ぼす影響を見抜き、その状況を把握する能力が、彼の捜査の強みだった。現在の科学捜査が進化した時代でも、目撃者の心理を理解することの重要性は変わらない。

有力容疑者と特命捜査の行方

三億円事件には、“警察官の息子”が有力容疑者として浮上したこともあった。しかし、平塚氏はこの容疑者を「シロ」と判断した。彼の鋭い直感と経験に基づく捜査手法は、時に直線的な証拠よりも強力だった。捜査の過程で浮かび上がる情報の真偽を見極める洞察力が、彼の捜査の要であった。

特捜本部の捜査員たちは、197人もの捜査員を動員し、大規模な捜査を展開したが、犯人の検挙には至らなかった。平塚氏の捜査は、時に彼自身が「見切りをつけることは許されない」と言うように、苦しい戦いだった。

事件の風化と平塚氏の遺産

三億円事件は時効を迎え、未解決のまま歴史に名を残した。しかし、平塚八兵衛が遺した捜査の哲学は、現代の捜査においても重要な教訓を提供し続けている。彼が捜査において強調したのは、人間の心理や証言者の立場を理解することの重要性である。彼の捜査法は、事件そのものよりもむしろ捜査のあり方に光を当てている。

事件発生から半世紀以上が経ち、三億円事件は現代の犯罪捜査の枠組みを考える上で貴重な教材となっている。平塚氏のように、目撃者の心理を理解し、証言の背景を探ることの重要性は、デジタル時代においても変わらないのかもしれない。平塚八兵衛が遺した捜査の極意は、今なお鮮やかに私たちに問いかけている。

[伊藤 彩花]

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