「核と人類の未来」:田中熙巳氏、オスロでの熱い訴えが世界に響く
「核と人類の共存は不可能」:日本被団協の田中熙巳氏、オスロで訴える
オスロの冷たい風が頬をかすめる中、日本の田中熙巳氏がノーベル平和賞授賞式を前に、ノルウェーの首都で熱いメッセージを放った。92歳という年齢にもかかわらず、彼の声は揺るぎない決意で満たされていた。「核兵器と人類は共存できない」と力強く訴える田中氏の姿は、ただのスローガンではなく、歴史を背負った重みがあった。
田中氏が代表を務める日本原水爆被害者団体協議会(日本被団協)は、広島と長崎の原爆被害者による唯一の全国組織であり、核兵器廃絶を目指す活動を続けている。この団体の存在は、戦後の日本の平和運動の象徴であり、被爆者たちの声を世界に届けるための重要なプラットフォームとなっている。
歴史が語る核の恐怖:被団協の歩み
日本被団協の起源は、1945年8月の広島と長崎への原爆投下に遡る。戦後、連合国軍総司令部(GHQ)は原爆被害の報道を厳しく規制した。しかし、1954年の「ビキニ事件」を契機に反核運動が活発化し、1956年には長崎で日本被団協が結成された。この団体は「原水爆禁止運動の促進」や「原水爆犠牲者の国家補償」を掲げ、被爆体験の継承や被爆者健康手帳の申請支援を続けている。
この運動の成果として、1957年には原爆医療法が施行され、被爆者は国費で健康診断や医療を受けられるようになった。その後、68年には原爆特別措置法が制定され、94年には被爆者援護法が成立した。これらの法整備は、被爆者の生活を支える重要な基盤となっている。
若者へのバトン:未来への希望
田中氏は会見で、「若い人たちにこの運動を引き継いでほしい」と語った。彼の言葉は単なる願いではなく、将来の世代に対する信頼の表れである。実際、被団協は次世代への教育活動を積極的に行っており、被爆体験を次世代に伝えることの重要性を強調している。
核拡散防止条約(NPT)再検討会議に代表団を派遣し、被爆者自らがスピーチを行うなど、国際社会に向けた働きかけも続けている。2016年には、核廃絶を求める「ヒバクシャ国際署名」を開始し、国内外で約1370万筆を集めて国連に提出した。この活動は、2017年の核兵器禁止条約採択や2021年の発効を大きく後押しした。
オスロでの喜びと決意
ノーベル平和賞の授賞式を控え、田中氏は「喜びが湧いている。本当に光栄に思っている」と語った。その言葉には、長年の活動が認められたことへの感謝と、これからの課題への決意が見え隠れする。彼らはオスロ滞在中、ノーベル平和センターでの展示や地元の学生たちとの交流を通じて、そのメッセージを広める予定だ。
田中氏の言葉を受けて、核兵器廃絶に向けた道のりはまだ険しいが、希望の光は見える。核兵器のない世界を実現するための道筋を描くことが、今を生きる私たちの使命である。未来の世代に、核の恐怖から解放された平和な世界を手渡すために、私たちは何をすべきか。その答えは、田中氏の言葉の中にあるのかもしれない。
[高橋 悠真]