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2024年12月24日 07時51分

渡辺恒雄氏、「最後の黒幕」の生涯と影響力を探る

渡辺恒雄氏の影響力とその背景にある哲学

2023年12月19日、読売新聞グループ本社代表取締役主筆である渡辺恒雄氏が98歳で亡くなりました。彼の存在は、新聞界のみならず、政界、経済界、官界、スポーツ界にまで広がり、「最後の黒幕」とも称されるほどの影響力を持っていました。渡辺氏の政治的な影響力やその思想の背景を探ると、彼の戦後日本に対する強い思いが浮かび上がります。

共産党から読売新聞へ――権力への道

渡辺恒雄氏の原点は戦後日本共産党への入党でした。彼は、天皇制や全体主義への反発から共産党に参加しましたが、党の厳しい規律に反発し、脱党。その後、彼は読売新聞に入社し、そこでのし上がっていきます。渡辺氏は「朝日、毎日のような大きいところに行って手間暇かかるよりは、三番目ぐらいの新聞に行ったほうが早くトップになれる」という計算のもと、読売を選んだと言います。この選択が、後に彼が読売新聞の顔として君臨し、政界に影響を与えるまでになる原動力となりました。

魚住昭氏は渡辺氏の「社内政治」の起源について、共産党時代に「少数者が多数を動かす力」に魅了されたことが大きいと指摘しています。彼の野心的な性格と政治への関心が、新聞記者という枠を超え、政界にまで影響を及ぼすこととなったのです。

政界への影響力とその背景にある信念

渡辺氏は、政治家の懐に飛び込み、彼らの信頼を得ることに長けていました。田原総一朗氏が明かしたように、渡辺氏の思想の根幹には「日本を絶対戦争しない国にする」という強い信念がありました。彼は戦争の悲惨さを身をもって経験し、その体験から日本を戦争から遠ざけることを生涯のテーマとしたのです。

この思想は、渡辺氏の政治的な行動にも反映されていました。彼は日本とアメリカが対等な関係であるべきだと考え、日米同盟に賛同しつつも、従属関係を解消したいという願いを抱いていました。そのため、憲法改正を通じて日本の政治を強くし、独立した国としての立場を確立することを目指していたのです。

読売新聞と渡辺氏の存在感

渡辺氏は、読売新聞を日本の政治や社会における影響力の源泉としました。彼は新聞を「武器」として用い、政治や経済に介入することで、自らの思想を実現しようと試みました。彼の影響力は、読売新聞の社説にも色濃く反映されており、「新聞の軽減税率」問題に対する読売の主張は、渡辺氏の考えをそのまま表現しているようにも見えます。

彼の死去が報じられた際、読売新聞はその功績を大々的に伝えました。渡辺氏は、亡くなる直前まで新聞の内容に深く関与しており、彼の存在は読売そのものだったと言えます。彼が残した影響力は、読売の姿勢やその報道方針に今も息づいているのです。

渡辺恒雄氏の遺したものとこれからの日本

渡辺氏の生涯から学ぶべき点は、彼の持つ信念と、それを実現するための行動力です。彼のような影響力を持つ人物がどのように日本の未来を形作っていくか、彼の死をきっかけに改めて考える必要があるのかもしれません。渡辺氏の存在は、戦後日本の歴史において大きな足跡を残しましたが、その足跡をどのように受け継ぐかは、これからの日本社会に委ねられています。

[田中 誠]

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